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初心者だけど重度のエロゲーマー。プレイ本数が増えてきたけどまだまだ新参者のつもり。当面の目標は積みゲを全て崩し終えること。
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1: by 紅葉 on 2012/11/28 at 23:31:44

ノベルゲームとゲーム性というテーマでしたら「YU-NO」は絶対に外せないと思うのですが、現在はプレイ手段が無いんですよね。
本当に残念です。
個人的に1995年の段階で、あのテーマと完成度に至っていた事は、今でも驚きです。後発に与えた影響は計り知れない物があると思います。

6: by おく on 2012/11/29 at 01:41:09

>>紅葉さんへ
コメントありがとうございます。

YU-NOはA.D.M.Sシステムを用いた多世界解釈とストーリーの完成度が素晴らしく、このジャンルの礎を築いた作品であると聞き及んでおります。
現在YU-NOをプレイする手段は
①PC-98版をプレイする
②elf大人の缶詰を購入してWindows版をプレイする
③SS版をプレイする
の3つがあります。

①は現実的ではなく、②はプレミア化しており入手が困難、③はハードも揃えなければならないとどれも中々難しいものがあります。

しかしYU-NOはノベルゲームを語る上で外せない作品だと思うので機会があれば是非プレイしたいところです。

ノベルゲームの「ゲーム性」について~minori編~

先日Twitterでノベルゲームの「ゲーム性」に関する話題になった。





これは僕にとって非常にクリティカルな話題であり、ノベルゲームをやる上でかなり気にしている部分でもある。当ブログの記念すべきエロゲ雑記の第一回目ということもあるので、自分が常日頃意識している「ゲーム性」ということについて今回は書いていこうと思う。打算的な事を言えば、「ノベルゲームの枠組みを変えるノベルゲーム。」のレビューで書いたこととかなり被るので、大した労力を費やさないという所が大きい。
前半は批評空間に投稿したレビューの後半部を引用する。(一部省略・改変)



◆僕が思うノベルゲームの「ゲーム性」とノベルゲームのこれから

次に話を変えてノベルゲームの「ゲーム性」について自分が思っていることを。ゲームである必要性とでも言えばいいかな。
僕は何も周回要素があり何度もやり込める遊戯性を有した作品だけがゲーム性がある作品ではないと思う。作品において何か一つでもゲーム媒体でなければならない理由やゲームという土壌を物の見事に活かした上手さというものを感じ取る事が出来れば、それは十分「ゲーム性」がある作品と言っても良いのではないか。自分はそういう一工夫ある作品の方が好きだしこれからもそういった作品は高く評価していきたい。

もちろんここで一本道の作品だったり単純に選択肢を選んでいく作品を批判するつもりはないし、自分はそういった作品も好きなのだけれど、極論を言ってしまえばその作品に何かゲームである意味や独自性を見つけられなければそれは別にゲームである必要はないし、アニメや小説でやっても大差はない訳で。マルチエンドの作品でもヒロインごとに話数を設定すればアニメでも十分表現可能だし、それこそ選択肢がない一本道の作品なんかはボイスや音楽があるかないかの違いこそあれ、定期的に挿絵を挟んだ小説でも特に問題ないのではと思ってしまう。せっかくわざわざゲームを媒体にしているのだからゲームならではの要素があって欲しい。

プレイした作品で幾つか例を挙げると、

「EVE~burst error~」のマルチサイトシステムを駆使した総当り方式
「EXTRAVAGANZA~蟲愛でる少女~」「水仙花」のフローチャート方式
「Quartett!」のFDDシステム
「LOVELY×CATION」のラブリーコールシステム
「Strawberry Nauts」のPITシステム
「ELYSION~永遠のサンクチュアリ~」「媚肉の香り」の移動パート
「GUN-KATANA(銃刀)-Non Human Killer-」のFPSパート
「MIND+REAPER」の戦闘パート
「Forest」のテキストと音声が違う演出

など、これらは紛れもなく自分にとって一つの「ゲーム性」であった。
もちろんこれ以外にもまだまだある(書淫、YU-NO、蒼色輪廻辺りは未プレイ。特に書淫は凄くやりたいけど高い…)し、選択肢を上手く利用した演出もゲーム媒体ならではの手法だと思う。

最近では「古色迷宮輪舞曲~HISTOIRE DE DESTIN~」が遊戯性ではない、もう一つのノベルゲームの「ゲーム性」を提示した作品として記憶に新しい。自分はこの作品にほぼ満点に近い点数を付けているが、それは単に独自のシステムや「クオリア」などをテーマに物語の登場人物とプレイヤーとの距離を近づけたシナリオ内容だけを評価したのではなく、何よりも昨今の萌えブームの流行に逆らうかの如くこういった意欲的な作品を出してきた事が嬉しく、高く評価したいと思ったからだ。確かに粗は多いがそれを差し引いても自分にとっては最上級の作品であった。

かなり前置きが長くなってしまったがここから本作を絡めた話に入る。
http://www.anos.jp/anos7/anos7.htm#novel
「ノベルゲームの枠組みを変えるノベルゲーム」公式サイトの、自転車創業の「ノベルゲーム」というものに対する認識と本作を作るに当たっての心構えです。よろしければまずは読んでみて下さい。(読まなくてもこれ以下を読むにあたって特に問題はありません)

「ノベルゲームにはまだやれることがある。」

本作がノベルゲーム全体の枠組みまで変えうる力を持った作品だとは自分は思っていないが、最初に述べているノベルゲームにはまだやれることがあるという事は十分に感じたし提示できていると思う。「ノベルゲームの更なる可能性」と言っても良いだろう、生まれ変わったANOS・記憶管理システムは、遊戯性とも違うし前述した作品が持つようなゲーム性の更に上を行き、それでいてこれまでの自転車創業作品とも別の新しい「ゲーム性」を見せてくれた。

ただ、一つこの自転車創業の理念に苦言を呈するとするならば、いくらゲーム性がメインのノベル「ゲーム」であっても物語という形式を取っている以上はどうしても物語の質も重要視されるということだ。正確にはこの場合重要となるのはゲーム性と物語の親和・融合具合と言ったほうが良いか。物語単体で比較した時は他の作品に劣っていても、そこに自転車創業ならではのゲーム性が加わり、ノベルゲームとして比較した時にはその優劣が逆転する場合はいくらでもある。しかし本作はストーリー展開がやや淡白で乏しく、いくらそこに新しいゲーム性が加わってもシナリオが良いとされている名作達には及ばず、他に影響を与えるような革新的な作品にまでは至らなかった。

製作者側も言っているように本作は短めの実験作的な扱いなので、いきなりこのレベルを期待するのは酷だったかもしれない。全ての面でまだまだ改善の余地があるかと思うので、未プレイの過去作をまったりやりながら楽しみに次回作を待とうと思う。この新しいANOS・記憶管理システムが更に洗練され、尚且つそれを十二分に活かす物語と見事に合致した時にこそ、自転車創業が目指すノベルゲームの枠組み変える力を持ったノベルゲームが生まれるのではないか。

近年のノベルゲーム産業全体を見渡すと、ラノベやアニメに追いやられコンテンツとしての価値が年々弱まっている事が分かるだろう。これはここ数年の市場規模の縮小具合や有名ライターが次々とラノベやアニメの脚本に移っている事実を見ても間違いない。今はノベルゲーム業界にとって非常に厳しい時期にあると言えるのではないか。
それでも自転車創業やYatagarasu(八咫鴉)を始めに、僅かではあるがノベルゲームの新しい在り方・更なる可能性を模索する動きは出てきている。この動きが大きなうねりとなって業界全体を巻き込んだ流れになる可能性は極めて低いと思うが、この新しい物を生み出そうという意欲的な姿勢が見え続ける限り、自分はノベルゲーム産業に期待を抱くことは止めないしこれからも応援し続けていきたい。



◆minori作品が持つ「ゲーム性」

※ノベルゲーム≒ビジュアルノベルと捉えて良い。
実は上記のレビューを書くにあたって「ゲーム性」がある作品の一例としてminori作品を入れようかかなり迷ったのだが色々とややこしくなりそうだったので省いたという経緯がある。前提として上で挙げた作品にはゲームでなければ表現できない部分があり、尚且つ小説やアニメ化がされていないものだけを選んでいる。ところがminori作品では「ef」がアニメ化されているし、自分はアニメを見ていないのでなんとも言えないのだが、評判を聞く限りではfirst taleは原作よりもアニメの方が出来が良いと聞く。それなのにゲーム性がある作品として紹介すると「それはちょっとおかしいのではないか。first taleのようにアニメのほうがゲームよりも良い場合もあるのでは?」といった突っ込みを食らうかと思ったので入れなかったのだ。その為今回はレビューでは語れなかった部分のminori作品が持つ「ゲーム性」に対する自分の考えを述べていこうと思う。

結論から言うと、minori作品には紛れも無い「ゲーム性」があり、それはアニメや小説ではなくノベルゲームでなければ絶対に表現できない。自分が言うと説得力に欠けるのだが、例え内容が同じであってもアニメと原作はそもそも根本的に違うものであり、単純な評判の優劣でどちらかを選ぶ次元にはないと思う。それどころか、minori作品が持つ「ゲーム性」は、他のノベルゲームに多大な影響を与え、他のコンテンツとの差異を生み出しノベルゲームの地位をより強固なものとしたとまで言っても良いだろう。

ここでは「eden*」を例にしてminori作品が持つ「ゲーム性」を紹介していこうと思う。edenは開始数十分でminori作品がこれまで築き上げてきた手法をほぼ全て見れるので例として非常に取り上げやすい。
画像がかなり多いので見難いかとは思いますがそこはご容赦下さい。

eden01
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eden05
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eden08

ここでは一連の連続した動作を瞬間的に切り取ることで「動き」を表現している。


eden09
eden10
eden11

ここでは一つの場面を多角的な視点から描写することで「立体感」を生み出している。


eden12
eden13

登場人物との会話でも主人公の存在を知覚させることで、読み手が「第三者」の存在であることを強く意識させている。


eden14

今まで切り離された物であった立ち絵と背景を違和感なく「融合」している。

「動き」「立体感」「第三者」「融合」
程度の違いや、一つ二つを含んだ作品は数多くあっただろうが、minoriはかつてない高いレベルでこれらを一つの作品に埋め込んだ。そしてそれは今まで触れたことのない、新しいノベルゲームの誕生であっただろう。
ノベルゲーム業界にとってこの4つの手法を取り入れ、ノベルゲームをもう一段階上の存在へと押し上げたminoriの功績は非常に大きい。最近ではAQUAPLUSの「モーションポートレート」やういんどみるの「E-mote」のような、「よりリアルな動き」を実現しようとする試みも出てきているが、minori作品はまさにその先駆者的存在と言えよう。また後述するが完成度の面でも現時点ではminori作品の方が遥かに上であると言える。

これら4つの手法を携えたminori作品は「映画的」「映画のような作品」と良く言われるが、ここで勘違いして欲しくないのは、あくまで「映画的」なものであり、映画とは全くの別物だということ。次はこの観点からminori作品がゲームであることの意味とその大きさについて説明していこうと思う。


◆「映画」と「映画的」―そこから見えるminoriが築いたノベルゲームのコンテンツとしての地位

「映画的」と評されるminori作品と実際の映画との違いは何か。「動き」のリアルさ・滑らかさなどもあるが、最大の違いはテキストの有無だろう。ノベルゲームである以上、テキストの存在は切っても切り離すことは出来ない。ここで重要なことは「動き」は時間的制約を受けるが「テキスト」は時間的制約を受けないということだ。映画やアニメなどの動きのあるコンテンツを余す所なく楽しみたいからといって一々止めて確認するという人はまずいないだろうし、小説であっても自分のペースはあれど、きっちり時間を気にして読むということは恐らくしないだろう。このように映画やアニメは楽しむための前提として無意識的に時間的制約を受けているし、逆に小説は受けていない。そしてここで確認しておきたいのは、時間的制約を受ける「動き」と制約を受けない「テキスト」は本来相反するものであり、同時に楽しむのは難しいということ。これは非常に大事なことである。

「E-mote」を例に取ってみよう。自分はこのレビューを書いてる途中に少し「ウィッチズガーデン」の体験版をプレイしてみたのだが、プレイしていてテキストとE-mote、そのどちらを注視すれば良いのか分からない感覚に襲われた。この感想を持った人は多いのではないか。しかしこれは当然といえば当然のことなのだ。なぜなら「動き」と「テキスト」には時間という絶対的な壁があり、相容れる物ではないから。他にもE-moteは一枚絵の価値を相対的に弱めたり、キャラクター「しか」動かない故に背景とのバランスにどこか違和感や物足りなさを感じるといった欠点も抱えている。

それでもおっぱいたゆんたゆんにテンションが上がったのは間違いないし、登場人物が視線を動かすことさえも演出に組み込んでいるのには舌を巻いた。E-moteがノベルゲームの新しい可能性であることは否定しない。
ただ、僕はどうもこのシステムが究極的に進化したら、それはノベルゲームではなく映画やアニメと変わらない物になるような気がしてならない。高度過ぎる演出は「動き」と「テキスト」の情報量のバランスを壊す。そこで待つのはテキストの存在の否定であり、それはノベルゲームの否定でもある。(「動き」と「テキスト」の情報量のバランスについては次で詳しく説明する。)


そろそろ本題に入る。minori作品は時間という絶対的な壁に阻まれた、本来相反するものである「動き」と「テキスト」の隔たりを限りなく取り除こうとしているのではないか。これはノベルゲームでなければできない試みであり、ノベルゲームの価値の証明でもある。
加えてminori作品は「動き」と「テキスト」の情報量のバランスが非常に良く取れている。「映画的」と評されるような独自の演出で、時間的制約を受ける映画やアニメのような「動き」を楽しむことができるし、一方で得られる情報に余地が残されているので小説のように時間的制約を受けない「テキスト」でも楽しめる。

例えばE-moteが究極的に進化してアニメや映画と見間違うような「動き」を獲得した時、果たしてそこにテキストの価値を見出だせるのだろうか?それは確かに技術的には大きな進歩であるだろう。しかしノベルゲームの枠組みの中で見た時だとその進化は自己の否定であり破滅であるように思う。ウィッチズガーデン体験版でさえE-moteとテキストの情報量の違いに翻弄された自分にはどうしてもそう思えてならない。ただ、これはノベルゲームというジャンルが最終的に行き着く可能性の一つであると思う。

「動き」と「テキスト」から得られる情報の質の違いにも触れておこう。
やや極端な例えになってしまうが、「一人の男がある表情(※1)をして走っている」のを見たとする。この「動き」を見て男の感情を予想する時、これは個々人の価値観・語彙力によって受け取り方、表現が大きく変わってくるだろう。このように「動き」から得られる情報を言語化する時はかなり曖昧なものになってくる。ただ、アニメや映画のような動きを楽しむジャンルにおいてはこの「曖昧さ」こそが大事である。曖昧さによる不確かさは大きな議論を呼びそれ自体が作品を盛り上げるし、多くの人と意見を交わして自分なりの答えに辿り着いた時は大きな喜びを得るだろう。
※1 ここで「ある表情」としているのは個々人によってどう見えるのか・感じるのかが不確かであるため

一方で「テキスト」から情報を得る場合は余程難解な話でなければ曖昧さ・不確かさというものを感じることはまずないし、初めから情報を受け取る側は正しいかどうかはさておき(※2)一つの答えを得る。先ほどの「一人の男がある表情をして走っている」という動きを一つ例を挙げてテキスト化してみれば、『男は焦っていた。だからあそこまで必死な表情をして走っている』となる。この時得られる情報は「客観性」があり、この文章を見て「いや男は焦ってないし必死な表情もしていない!」と主張する人はまずいないだろう。
※2 情報の受け取り側に正しいものと認識させて(ミスリード)、最後にそれを覆して驚き・衝撃を与えるのがミステリー小説で多用される叙述トリックである。

一言で言うと、「動き」から得る情報には「曖昧さ」というものがあり、逆に「テキスト」から得る情報にはある種の正しさ、「客観性」があるということ。これを踏まえてminori作品を見てみよう。

minori作品全体の個人的な印象を語らせて貰うと、「非常に綺麗ですっきりとした物語」、これに尽きる。これは夢・希望をテーマにおとぎ話を貫いた「ef」、終わりゆく世界で最後まで生き抜くことの美しさを綴った「eden*」の印象が強いかもしれないが今回色々と書いてきて新しいことも見えてきた。
minori作品は情報の伝え方が完成されているとでも言えば良いのか、読み手に情報が非常に整然としてストレートに伝わるように思う。minori作品はこれまで述べてきたように「動き」と「テキスト」の両方から情報を得る。

ここで大事なのは「動き」から得た情報の「曖昧さ」を、「テキスト」から得た情報の「客観性」で正しているということだ。(※3)また「映画的」とも評されるように作品から「動き」が感じられ、時間的制約を受けない「テキスト」中心だった他のノベルゲームにはない楽しみがある。この両者の理想的とも言える相互関係が、『minori作品は「動き」と「テキスト」の情報量のバランスが非常に良く取れている』と言った理由であり、先程述べた、伝わる情報が完成されていると評した理由でもある。作品テーマの美しさと理路整然としてストレートな情報の伝え方こそが、minori作品が「綺麗な物語」とよく評される理由なのでもないか。

※3 最初に挙げた「動き」を表現した一連の画像を見て貰うと分かると思うが、「動き」のあるシーンでは「テキスト」から得る情報量を極力少なくし、(理解を進める)最低限の描写に留めている。(これは「動き」から得る情報と「テキスト」から得る情報が被らないようにするため。)このような動きに対して非常に気を配られたテキスト描写が、動きの「曖昧さ」を「客観性」で正しているということ。そしてこれは「動き」と「テキスト」の情報量のバランスが取れていると言った理由の詳しい説明でもある。

今のがほぼまとめに近いのだが最後にminori作品(この場合はef)が内容が同じでもアニメとノベルゲームでは根本的に違うものだと言った理由について書いて終わろうと思う。ここまで読んでくれた人はおおよそ察しは付いていると思うが念のため順を追って書いてみよう。

最大の理由は得られる情報の質の違いだ。何度も言うようにアニメは「動き」(だけ)から情報を得て楽しむが、ノベルゲームのminori作品はその映画的性質上「動き」と「テキスト」の両方から情報を得て楽しむ。この時点で両者には決定的な違いがあると言ってよい。「動き」と「テキスト」、二つの要素から理想的な形で情報を得て、そこに一つの美しさを見出すのがminori作品本来の魅力であり特徴だったのに、アニメではそれが完全に失われている。たとえアニメの評判が良いとしてもこの時点で自分の中ではefであってefではない、全くの別物と感じられてしまった。

そろそろ書くのも辛くなってってきたのでちょっと強引にまとめてしまうが、
本来は時間という絶対的な壁の為、相容れる存在ではなかった「動き」と「テキスト」を、minori作品は自身の持つ映画的性質で両者を理想的な相互関係で活かす事に成功した。これはまさしくノベルゲームでなければ出来ないことであり、故にminori作品は紛れもなく「ゲーム性」を持った作品であると言えよう。加えて、「動き」を楽しむ映画、「テキスト」を楽しむ小説に次いで、「動き」と「テキスト」の両方を楽しむノベルゲームという地位を築き上げたminoriというブランドが果たしたノベルゲーム業界に対しての功績は非常に大きいと言える。

とまあこんなところで良いでしょうか。
これで今回の主題に関する内容は終わりますが書いている時に色々思い浮かんだ事があるのでそれを簡単に書いてから終わります。


◆minori最新作「夏空のペルセウス」について

当ブログでもまず最初に応援バナーを取り付けたように僕は「夏空のペルセウス」にかなり期待しているしもちろん購入するつもりだ。今回はminori作品の「ゲーム性」とノベルゲーム全体に与えた影響と功績という面からかなり好意的に書いてきたわけだが、実は自分はminori作品のストーリー性に対してはそこまで高く評価していない。minori作品の美しさは自分には少々綺麗過ぎるし、edenなどが好例だが高すぎる完成度はある意味プレイヤーを突き放し、プレイヤー自身の感情が作品そのものに深く入り込む余地を許さない。完成度ではef・edenが圧倒的に上だが、自分が一番好きな作品はBITTERSWEET FOOLSであるのがこれに出ていると思う。作品が抱える粗は必ずしも悪い方向だけに作用する訳ではないということだ。

「夏空のペルセウス」の作品紹介を見てみるとこんな文がある。

『これまで培ってきた全てを研ぎ澄まし、今改めて、minoriの原点である「物語」を描く本作 [ 夏空のペルセウス ]。確かな技術と演出力、それらが描き出す “18禁” でこそ語り尽くせる「物語」に、ご期待ください。』

この「18禁でこそ語り尽くせる物語」ということに自分は非常に期待している。美しさ・綺麗さだけを表現するのには18禁である必要はないだろう。そこには痛みなどのこれまでのminori作品の根底に見られたものと反する要素も深く必要になってくるはずだ。latter taleにはこういった要素も含まれているが、今作ではそれ以上のものを期待したい。もちろん単純にエロシーン盛り沢山の作品を期待したいという思いもある。(体験版のエロシーンも良かったですね)

自分はノベルゲームには「ゲーム性」があるかどうかを深く気にしているが、その中でもより限定的なエロゲーというものに対しては「18禁である必要性」があるかどうかも作品を評価する上で注目している。エロゲーが18禁である必要性についてはここで語ると長くなってしまうので今度また雑記にまとめようと思う。

とにかく「夏空のペルセウス」はminori作品が持つ「ゲーム性」はもちろん、ストーリーにも「18禁ならではの必要性」が感じられるものであり、これまでとは違った新しいminori作品になることを期待している。


◆エロゲのアニメ化が不評・歓迎されない訳

「動き」と「テキスト」から得られる情報の質から考えていけば比較的あっさり納得できる。基本的にアニメ化されるようなエロゲはこういったら失礼だけど僕がこれまで言ってきた「ゲーム性」がない作品の場合が多い。要するによくある選択肢を選んでいって自分が決めたヒロインと一緒に障害を乗り越えてハッピーエンドを迎える作品。こういった作品の場合はminori作品のように特に「動き」がある訳でもないので圧倒的にテキストが占める情報量が多い。アニメはもちろん「動き」を楽しむ作品。

この時エロゲのアニメ化には「テキスト→動き」への体系の変換が行われる。これに従って得られる情報の質は「客観性のあるもの→曖昧なもの」へと変化する。
エロゲのアニメ化は、この過程でされるであろう情報の削ぎ落としが不評を買う最大の理由であるように思う。この時不評を買う理由が情報の削ぎ落とし以前に、エロがないとか作画が変とか自分の好きなヒロインの√ではないといった個人的不満は考えないものとする。しかし恐らくエロがあり作画も完璧で内容が自分の好きなヒロインであっても少なからず不満は抱くはずだ。

エロゲで楽しんでいた時は正確で客観性が強い情報を得ていたのに対して、アニメではそれがより曖昧なものに変化しているのでまずは当然その変化に戸惑うだろう。加えてアニメの場合はエロゲに比べてより空間的な広がりがある。つまりエロゲの時では立ち絵でやり取りされていたヒロインとの一対一の会話が、アニメではより広い空間での会話に変化する。当然限定的な世界ではなくなり否応なく外の世界も意識させられるので、ヒロイン以外の存在にも注意がいくし、相対的にヒロインの優先度(価値)も下がる。ただでさえ価値が下がるのに、得られる情報もより曖昧なものだったらヒロインの感情面の描写で不満を抱くことが多くなるのではないか。
またエロゲでは時間的制約を受けなかったのに対して、アニメでは制約を受けるのでその点でも不満を抱くだろう。それはよく言われる展開の端折り過ぎなどが挙げられる。

まとめるとエロゲのアニメ化は情報の質の変化の過程でヒロインの心理描写の弱まり、時間的制約による展開の端折りといった情報の削ぎ落としがほぼ間違いなく行われるので、原作プレイ者がまったくの不満を抱かないのは不可能であると言える。

こんなところでしょうか。エネルギー損失率0%は決してあり得ず永久機関が実現不可能なように、エロゲのアニメ化においても情報の損失率0%はあり得ず原作と全くの同じクオリティを持ったアニメは生まれないということですね。(ちょっと上手いこと言ったつもりです)


◆エロゲで音声を飛ばすということ

エロゲをプレイしている時に音声を飛ばして次のテキストを読む行為はほぼ間違いなく全てのエロゲーマーが経験したことがあるだろう。僕はよく音声継続機能をONにして重要そうな場面以外は音声はあまり聞かずどんどんテキストを読み進めていくのだが今回はその行為について考えてみたいと思う。

minori作品とまではいかなくても、ほとんどのエロゲ(特に最近の作品)には「動き」と「テキスト」の両方を楽しむ性質があると言って良い。それは立ち絵の豊富さであったり、目パチ口パクの演出であったりとその作品によって異なるが。
散々言ってきたように「動き」と「テキスト」は時間という壁で相容れないものがあるが、音声を飛ばすという行為はその断絶に拍車をかけていると言える。これは非常に愚かな行為といっても良いだろう。

一つ例を示す。音声継続機能ありでヒロインと会話してる場面を思い浮かべて貰いたい。ここでの演出は目パチ口パクありで、それこそE-moteのような非常に高度なものとする。

「僕」はヒロインの長台詞に我慢出来ずに台詞を最後まで聞くことなくクリックしてしまった。するとタイミング良く場面が切り替わり次の場面を説明する地の文がテキストウィンドウに表示された。地の文を読んでいる時でも先ほどのヒロインの長台詞は耳に入ってきている。
大したことのない場面に思えるかもしれないが、これは非常にまずい状況であるし大変なことである。

この時「僕」が気にしている事は切り替わった場面の説明文であり、ヒロインはそれも知らずに長台詞を言い続けるし目パチ口パクや豊富な表情差分・E-moteのような動きをしている。(※4)両者の認識にはかつてないほどの断絶があると言えよう。E-moteを「動き」と「テキスト」との間にある時間という壁から見て批判したが、こちらのようなエロゲをやっている時によく見られる状態の方が遥かに時間的に見ても断絶しているしまずいと言えないだろうか。大げさに言ってしまえば音声を飛ばすという行為はノベルゲーム(エロゲ)としての一つの楽しみを自分から放棄しているとも言えるのではないか。
※4 ここでヒロインが感じるであろう悲しみ・虚しさは、プレゼンをしていてふと聴衆に目を向けたら誰一人いなくなっていた時の状態と似ているだろう。(これもちょっと上手いこと言ったつもりです)

このヒロインに対するメタ的視点はHAINシナリオで良く見られる。自分は氏の作品が好きなのでしばしばこういったメタ的論理を展開しがちである。ただこういったメタ的視点は物事の本質に迫ることが多いと思う。
もちろんこの論理展開にはかなり無理もあるだろう。わざわざ高い金払って買ったんだからどう楽しもうが個人の自由だろという主張は最もだし、かくいう自分もこれからも音声を飛ばすスタイルをやめるつもりは全くない。(じゃあなんでこんな事言い出したんだという文句が聞こえてきそうですが一つの視点としてこういう考えもあるのだな程度に思ってもらえれば幸いです。)

まとめるとエロゲで音声を飛ばすという行為はヒロインとの間にかつてないほどの認識の断絶を生じさせ、ノベルゲームの楽しみを自分から放棄しているとも言える。しかし基本的に楽しみ方は人それぞれだしこんなことをプレイ中に考える人はまずいないだろう。ともあれ自分が楽しめていればそれで全く問題はないし特に気にする必要もない。

とまあなんとも当たり前の意見に帰結しました。それでも大事な場面ぐらいはじっくりと音声を聞いて楽しみたいものです。


◆あとがき
ようやく書き終わりました…。まず最後まで読んでくれた人はありがとうございます。雑記の第一回ということで結構頑張って書いたつもりです。ざっと見返すと話の論理展開が雑であったり書いてる時の気分で結構文章の型がブレているように感じます。これは最初ということで勘弁して下さい。こんな感じでエロゲに関して自分が思っていることを少し長めの雑記として一ヶ月に2~3回ほど書いていきたいと思っています。流石にこれぐらい長いのは正直書いててしんどかったし絶対続かないと思うので次回以降はもっと短くなります。よろしければまた次回もお付き合い下さい。

構想とかは全く決まってないのですが雑記で書こうかなと思ってるネタはいくつかあるので書いておきます。これが気になるとかあればそれを優先するかもしれません。(基本的には書くときの気分次第ですが)

・異種姦・触手について
・エロとシナリオのバランスとは
・エロゲが18禁である必要性
・三大電波ゲー(終ノ空・ジサツ・さよ教)を振り返る
・寝取られについて
・エロゲをリアルタイムでプレイする利点・自分が最もリアルタイム
でやりたかった作品「EVE ~burst error~」について
・「選択肢」という観点からエロゲを見る
・バッド・ビター・ハッピーエンドについて
・催眠・洗脳について
・エロゲのFDについて
・2012年作品を振り返る
・作品テーマからHAIN作品を振り返る
・マイナーだけどオススメのエロゲ10選

今のところは上に行くほど書くモチベがあります。取り敢えず次は金曜日に海蝕輪廻パケ版発売を記念して異種姦・触手について書こうと思ってます。これだけネタを上げとけば暫くは大丈夫かなと思ってます。他にも短い記事も挟む予定ですし。

今週末の新作は「あえて無視するキミとの未来」「少女迷宮」を購入する予定です。「操心術∞」は恐らく中古回収になるかと思います。新作レビューは今月既に2本ほどがっつり書いたのでどうしようか迷い中…。まあプレイ後の気分次第ですね。どちらも良作であって欲しいところ。

それではまた金曜日に会いましょう。
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1: by 紅葉 on 2012/11/28 at 23:31:44

ノベルゲームとゲーム性というテーマでしたら「YU-NO」は絶対に外せないと思うのですが、現在はプレイ手段が無いんですよね。
本当に残念です。
個人的に1995年の段階で、あのテーマと完成度に至っていた事は、今でも驚きです。後発に与えた影響は計り知れない物があると思います。

6: by おく on 2012/11/29 at 01:41:09

>>紅葉さんへ
コメントありがとうございます。

YU-NOはA.D.M.Sシステムを用いた多世界解釈とストーリーの完成度が素晴らしく、このジャンルの礎を築いた作品であると聞き及んでおります。
現在YU-NOをプレイする手段は
①PC-98版をプレイする
②elf大人の缶詰を購入してWindows版をプレイする
③SS版をプレイする
の3つがあります。

①は現実的ではなく、②はプレミア化しており入手が困難、③はハードも揃えなければならないとどれも中々難しいものがあります。

しかしYU-NOはノベルゲームを語る上で外せない作品だと思うので機会があれば是非プレイしたいところです。

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