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「未来にキスを -Kiss the Future-」雑感

misswo
人類が行く着く新しい世界、恋愛の最終形を提示した作品。そこにあるのは圧倒的な楽園。美少女ゲーム世界の一つの到達点を描いた作品とも言えるかもしれない。
「キスっていうのは、世界を閉じるためにするんだね。」
※以下個人メモの意味合いが強いまとまりのない雑感を。(ネタバレ有り)
「sense off」「猫撫ディストーション」に関しても軽く言及しているので注意。

霞、式子、椎奈ルートをやった時点での印象は、この作品は恋愛を描かないことで逆説的に恋愛について考えさせるのかなというものだった。この3つのルートの時点ではまだ恋愛すら描かれていない。肉体を通した繋がりはあるけれどもそれは目的の為の手段に過ぎなかった。また、この「閉じた世界」がどう未来に繋がるのかも不透明であったので色々考えを巡らせながら進めていった。

・霞ルート
自らを「奴隷」と定義し、完全なる他者依存でしか自己の存在を確立できない霞。二週間の"非日常"だった"日常"が終わりを告げても、主人公の奴隷という関係はこれからも続く。象徴となる物体が首輪から指輪に変化しただけで。話の内容としては特に起伏もなく終わった印象。ひたすらに「お兄ちゃん」を求め、変えられることを望んだ霞にはそれこそ断然を感じた。

・式子ルート
式子の突発的好奇心から主人公と肉体関係を結ぶ。主人公が与えた影響は式子を元いた散文的な世界から、混乱したままの定常状態へと変える。結局はその新しい世界が式子を式子足らしめないものであったため、恋人から「私」と「あなた」、つまり個体同士のナチュラルな関係に戻る。式子は自分が自分でなくなることをこの上なく恐れた。GENESISで式子が提示したリレーション・コントロール、関係制御は散文的な彼女らしい考えであった。

・椎奈ルート
ここで初めて主人公の特殊さだったり、「檻」について言及される。家族=檻と捉え、違う世界に連れて行って貰うことを望んだ椎奈の家族観は猫撫ディストーションで描かれた家族観と対極だなと思ったり。あちらはどこまでも家族であることに固執していたけど。椎奈の言う「違う世界」、自動的に動く世界から自分で動く世界とは主人公に支配されることだが、僕はこれもまた檻を移しただけのように思ってしまう。ただまあ人に支配される分、新・人類に近づいてはいるが。


悠歌ルートで初めて本作の恋愛観というものが語られ、その論理がGENESISで主人公と霞が楽園へ至る為の道標になっている。
GENESISで行き着いた結論は感銘というよりも虚しさや寂しさといった印象のほうが強かったのだが、これは僕がシステムに囚われたまま三次元に生きる"古い"人間だからだろう。あの楽園で彼らは二次元的存在であるが故に幸福だけを感じられていたし、希望に満ちた未来を信じていられた。だけどあれは三次元的存在である僕らからしたら逃避に過ぎないし、逆に本作をプレイして現実社会の残酷さというものを突きつけられたような気がする。

・本作で語られる恋愛観(=悠歌ルート・GENESIS)
外的世界に存在する他者を見るのではなく、自己の内的世界に創りあげた他者を見る。この自己完結型の恋愛を人類の新しい世界であり"楽園"と呼んでいる。
他者とは断絶があって然るべきだし、他者を見る必要もなければその距離を埋めようとする必要もない。なぜなら、他者の完全なる理解はその存在の否定にも繋がるから。(他者との同一化→存在の否定)

他者との断絶があるが故に、人は内的世界で他者を支配することが出来る。我々が真に見るべきは外にいる存在ではなく、最適な「概念」「属性」を当てはめたに内的世界にいる他者。そこでは想い人を自由に支配できるし改変できる。これぞまさに"楽園"と言えよう。希望とは外にはなく、自分だけの世界にこそあるのだ。

(例)霞が呼ぶ「お兄ちゃん」とは外にいる個体としてのお兄ちゃんではなく、「お兄ちゃん」という概念を当てはめた内的世界で創りあげた存在。ここならば永遠に「お兄ちゃん」に自分だけを見てもらえるし不安を感じることもない。お兄ちゃんの独占を願った霞にとってはこの上ない楽園であろう。

ボクはお兄ちゃんが好きだ。
そのお兄ちゃんは、ボクの中にあるボクだけのお兄ちゃんだ。
そのお兄ちゃんがいれば、ボクは幸せだ。
お兄ちゃんの中のボクも、ボクの中のボクとは違うけれど、
ボクとお兄ちゃんは、もうお互いを見なくてもいい。

(未来にキスを EDロールより抜粋、一部省略)


だが僕はこの外にいる他者を見ないで、内的世界に創りあげる自己完結としての恋愛に寂しさを感じずにはいられない。これは恐らく他の人も同様だろう。なぜなら我々は、三次元に生きているが故に絶対にシステムから逃れることが出来ないし、外的世界で他者と関わらざるを得ないのだから。二次元世界に生きる彼らにとっての楽園は、同時に我々に残酷な現実も突きつける。また本作がインターネットが急速に普及し、エロゲー全盛期であった2000年代前半に生まれた作品ということを考えればより一層感じ入るものがある。

インターネットの普及で他者との直のコミュニケーションが希薄になり、家族という枠組みも崩壊しつつある中で、エロゲー(美少女ゲーム)で生きるキャラクターが辿り着く圧倒的な楽園を語る…、彼らは二次元世界にいるからこそいつまでも内的世界に埋没することが出来る。これは我々がどんなに望んでも辿り着くことはできない。本作は美少女ゲーム世界の素晴らしさを存分に自己賛歌しているのだ。

・主人公に関して
外にいる他者に感情を向けることがない、新しい人類の先進的存在。他者関係の自己完結を達成している唯一の存在。故にヒロインは彼から大きな影響を受ける。
椎奈の台詞が主人公を端的に表現している。
「おにーちゃん、実はこっそり、誰にも感情が向いてないです。人に感情を向けないから人に優しいんです」

・システムとは
ここでは「檻」と置き換えることもできる。(sense offでは檻と表現。)人間は家族、社会、法…といった意志を持たない超法規的なものに人類は無意識的に支配されている。檻に囚われていないのは主人公だけで、それ故にヒロインはシステムに囚われていることを自覚し、進化することを望む。主人公が「鈍い」と表現されるのは当然であろう。隣で会話していながらも真に見ているのは内的世界で創りあげた他者なのだから。

・楽園に関して
元長氏の作品はどれもベクトルが内に向いている。その最終的な到達点が本作でいう"楽園"であり、これは前作sense offでも見て取る事ができる。(未来にキスをとsense offは「肉体」に関する考えを除きほぼ同じであるが、未来にキスをの方がより先進的で、また主張としても強い。)
ここで言う楽園とは内的世界の埋没、自走するシステム(=檻)からの完全なる脱却を達成した世界とでも言えばいいだろうか。

肉体というハードウェアからも 軛解き放つよ(birthday eveより)
とあるように、sense offは肉体という「檻」からの脱却(=透子ルート)、或いは既に脱却した状態から逆説的に肉体の重要さを論じていた(=慧子ルート)。成瀬ルートは世界の終わり=肉体の終わりと同義されていたし、珠季ルートでは思惟生命の共生関係による肉体の統合、椎子・美凪ルートは一度肉体の終わりを迎え、転生したことでその先が描かれていた。
逆に未来にキスをでは外的世界にある肉体に価値をあまり見出していない。より精神性(内的世界)だけで成り立つ恋愛を描いている。

肉体の感覚
その地平に立っているからこそ
そこから飛翔し
誰かの、透子の心の中に、
そしてあらゆる世界に飛ぶことができる。
(sense off 透子ルートより抜粋)

sense offは肉体という不自由な檻があるからこそ、自由を感じられると論じていた。逆に未来にキスをでは、
言葉というのは、むしろ、誰にも伝わらないように話すものなんだ
人を支配するのに、相手を見る必要なんか全然ないってことだよ

とあるように、ベクトルがより内に向いており、自己の内的世界を志向している。

それは、馴染みのある声。
遮断された感覚の中、聞こえてくる声。

わたしたちは、檻の中でわたしたちの姿を創る。
そうやってしか、自分たちの像は創れない。
そうやって知覚した像こそが、真実の像。
檻の中に、変革された未来がある。
(sense off 慧子エピローグより抜粋)

sense offで最終的に行き着く先は、肉体を通して関わった他者を内的世界に取り込み、感覚を遮断(sense off)して、自分の中で創りあげた他者の声を聞く、知覚するというものだった。このsense offされた世界が圧倒的な楽園である。
それは既存の世界の終わり(=the end of the world)であり、新しい世界の幕開け(=birthday eve)である。

your new word この感覚が
遮断されても聞こえるよ
our new world その世界へと
僕らはこれから旅立つ
(birthday eveより)
物理的世界の終わり、精神的世界の始まり。『sense off』と『未来にキスを』の両方でこの"楽園"が描かれている。

余談だが『猫撫ディストーション』のギズモは主人公が内的世界で創りあげた偶像が外的世界にフィードバックされた存在ということができよう。自分で創りあげたものを実際の世界でも愛す…、これは近親相姦にも勝る禁忌である。最もギズモは言葉は覚えるが結局のところ「人間」にはなれなかったし、Exodusのギズモルートでは猫撫世界、及び自己完結型恋愛の限界を提示していると言える。

・エロゲー(美少女ゲーム)であることを自己賛歌した作品ということ
ただキャラクターがいて、ゲームがあるだけ。
キャラクターたちがゲームを繰り広げる、この新しい世界。
そんな世界へと、俺たちはいま、足を踏み出そうとしている。
圧倒的な楽園に向けて。
(未来にキスを EDロールより抜粋)

本作が美少女ゲーム世界にいるキャラクターが辿り着く楽園を語った作品であることを知った時、同時に一つの理解も得た。本作の批評を見ると、欠点として日常がつまらないことがよく挙げられていた。僕も全く感じなかったとは言わないが、実はこの日常のつまらなさにも必然性がある。
本作のキャラクターは意図的に強くデフォルメされている。例えばそれは「くきゅー」といったよく分からない口癖であったり、「岡崎さん」といったよく分からない道具が登場したりと多くの場面で見られる。

結論から言えば本作で描かれるキャラクターは、記号としての意味合いが強く、初めから人間を描くことを放棄している。故に日常がつまらないのは必然なのだ。
現実世界にはまず存在しないキャラクターを描くことで我々の感情移入を阻害し、同時にそんなキャラクターだからこそ、最後に楽園に辿り着くことが許される。GENESISで辿り着く結論を描くためには、我々が本作で描かれたキャラクターと断絶を感じることが必要不可欠である。(本作のキャラクターに感情移入が可能ならば、我々も楽園に辿り着くことができる。)
これを理解した時、僕は本作の日常のつまらなさというものが全くと言っていい程気にならなくなった。

世界を閉じるためにキスをして、ひたすらに内的世界に埋没する彼らはまさに新・人類であり、これは二次元世界にいる彼らにしか辿り着くことが許されない極地である。本作は美少女ゲームであることを自己賛歌し、同時に三次元にいる我々旧・人類に、美少女ゲーム世界との絶対的な断絶を感じさせる作品であった。

"Kiss the future" is closed.
Bye-bye,human.
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